近年ピアノコンクールなどの音楽コンクールが盛んですが、目的を見失うと音楽活動において様々な弊害をひきおこします。
コンクールとは競いあうことを前提に作られた場です。
順位がつくため、よい賞が取れたりするとはげみになったり自分への自信にもなります。
またコンクールに出ることを目標に練習にはげむことにより演奏のレベルアップもできます。審査員からの講評も自分自身の演奏を客観的に見るうえでよい材料になるでしょう。
そして賞を取り社会的に認められることにより演奏家としての活動ができる機会が広がり、後の演奏家としてのキャリアにも影響を及ぼしてきます。
このように現代の音楽界にとって欠かすことのできないものになっているのですが、このコンクールという仕組みは他方目的を見失いがちな面を持ち合わせています。
コンクールの運営側から見れば慈善事業ではないものですから、いかに参加者を集め収益をあげるかが焦点となってきます。
そのための仕掛けが様々にあるわけですが、人間の心理をよくついたものとなっています。
人間の心理を利用する、最もそれが顕著なのは”コンクールと言うものが人と人を競わせる”と言うのが前提であると言うことです。
人間は自分と他人とを常に比べて生きているものです。
あの子あの人よりうまくなりたいと思う感情は自然なものです。
本来芸術とは人と比べるものでなく自分の世界をいかに表現するかが魅力の世界です。 それを同じ土壌に乗せて競わせるとなると得意不得意が出るのは当たり前のことでしょう。
もちろん違う見方でみればそれは自分の世界を広げる意味では効果的でしょう。しかしそこで評価が付けられて冷静にいられればよいのですが、特に小さなお子さんの場合は認められなかったことを落胆してしまうでしょう。
最悪は自己否定につながり、ピアノや音楽を嫌いになってしまうかもしれません。
同じ条件のもとで人を競わせる世界、それはもはやスポーツの世界と言えるのです。
オリンピックやワールドカップのような人に勝つことを目標とする世界。そこには自己表現よりもテクニックやうまさがより強調され一定の基準から外れたものははじかれるのです。
コンクール自体を真っ向から否定しているのではなく、目的を持って参加しているかが重要になります。 スポーツもそうですが相手に勝つにはまず己に勝たなければなりません。コンクールはその意味では自己研鑽になるでしょう。
しかしながらよほど強い意志がなければ気付いたときはその雰囲気やシステムに流され競争原理の世界から抜けられない状態になります。
コンクールの参加費は様々ですが高額なものもあります。ホール借り賃、審査員への謝礼、運営スタッフへの賃金などを含めてもかなりの収益をあげているとおぼしき団体があるのも事実です。
とあるコンクールの運営団体は莫大な利益により近年大きくなっていますが、その影にはそのためにたくさんの時間とお金を使っている消費者がいるのが実態です。
そしてこれらのコンクール運営団体は楽器メーカーや大手楽器店と結託しています。
その目的は音楽教室の普及と楽器を売ることです。
コンクールに巣くう楽器店の担当者などはコンクールに集まってくるピアノ演奏に優秀なお子さんや人材に営業をかけ楽器を売ろうと常に考えています。
それは各地区の有力な楽器店が独占していて、他のお店についている音楽教室の生徒や個人の先生に付いている生徒などを奪うと言う目的があります。
そこには完全な利権の構造ができあがっているのです。
コンクールであればグランドピアノの販売と言うことが楽器店のひとつの大きな目的なのです。もちろんそれは販売の手法のひとつなのでなにが悪いのかと言われれば反論はないのです。
しかし私の想いとしてはピアノや楽器とはそのようにして買うものなのかと言う疑問を感じられずにはいられません。買うと言うより知らずに追い込まれたあげく買わされているような状態ですから。
コンクールによって似たような演奏の人間が同じようなピアノを買っていく。それでは芸術に必要な個性を延ばすことは困難でしょう。芸術よりも販売、本来の目的はそこには存在しなくなっている、日本の楽器業界に見られる病です。
しかしながら近年では大手楽器店の講師の指導力よりも個人の秀でたピアノ指導力のほうが力が強い面が多く、レッスンを受ける側もそれを見抜けるようになってきました。
口先だけの営業や内容のない権威だけのレッスンでは生徒をつなぎとめるのは難しい時代です。
次第にコンクールの意義と言うかメーカーからみた意味がなくなってきたとき消滅の運命をたどることでしょう。
以上の内情を踏まえ、コンクールにおどらされないことが音楽を長く楽しむうえで重要です。
賞を取ることは完全に自己満足の世界であり、トップ中のトップにならない限り、いやトップになったとしても演奏の世界で生きていくことは難しいのです。
賞を取ったことで人はたいして評価しません。それよりも実際に聴いた演奏が心に響くか響かないかです。
審査員と聴衆の評価が異なるのもこのことからです。
完璧な演奏をしても人の心に響くとは限りません。そのようなもので他人から評価されたければ勝ち負けのハッキリするスポーツの世界へ挑戦するほうがよいでしょう。
審査員と聴衆の評価の違いでもうひとつ申し上げると、審査員も人間ですから好みや情の問題、そしてお金の問題もあります。
お金と言うのは直接の金銭のやりとりがなかったとしても、例えばコンクールの運営団体関係の先生のもとで習っている生徒の評価を高くすると言うことがあげられます。
それは生徒が賞を取ることによりその先生の評価があがると言うことですから、生徒が集まりやすくなり、コンクールに出せる生徒も増えイコール運営団体も潤うと言う構造なのです。
ですから当然運営団体関係の先生に付くことがよい賞をとるうえで重要になってくるのです。
これが聴衆がえっと思うような採点が出るカラクリのひとつです。
コンクールは良い面と悪い面を考え、自分の音楽活動にとって本当に必要なのか判断する必要があります。