現代ピアノ奏法の音色の出し方についてこれまでわかってきたことを書き留めておこうと思います。
そもそもなぜ現代ピアノ奏法と名が付くかと言うと古典的なピアノの弾き方に対しての対義語として意味を持っているからだと思われます。
古典的な弾きかたが鍵盤をしっかりと奥まで押さえて弾くのに対して、現代ピアノ奏法では鍵盤を主として考えるのではなく、ハンマーの動きを主として楽器全体としての音色の変化をとらえています。
ピアノは一見すると鍵盤を押さえて音が出ると思われますが(たしかにそのとおりなのですが)、実際には第一に鍵盤より先につながっているアクションの動きにその音色が左右されています。
なので鍵盤をどう扱おうが打鍵後に音色が変化することはないと思われがちですが、どうもそれは楽器全体としてみたときは影響を受けていると思われるのです。
私がロシア奏法の大家、大野眞嗣先生のお話を聞くことができたのが昨年のこと。
それまではそのような奏法が存在することなど知りもしない、世に言う一般的な(日本的な)ピアノ弾きでした。
しかしながらこの奏法を知るにつれ、魅力的な音色をピアノから引き出す世界的なピアニストに共通するものであると言うことがわかってきました。
そしてそれは自分が感じていたピアノ奏法の限界を打ち破るものでもあったのです。
私は高校時分からピアノを弾き始めた後発組です。最初のころにハノンやバッハと言ったいわゆるピアノを練習するうえで基本的なところを勉強していました。しかしながらどうしても指に限界を感じすぐに疲れたりテンポが一定にならずもつれたりと、頭にある音楽が指で再現できないジレンマに陥っていました。
そのときに言われたことは、小さなときから弾いている人との大きな違いは技術的に決定的な差があることだと言うこと。そしてそのような技術を身につけることは不可能であるとも言われたのです。
そのときはショックでしたが、まあプロになるのではないのだしと割り切って弾いていました。
しかしながら魅力的なクラシックの弾きたい曲がいつまで経っても弾けないことはとてもストレスになっていったのです。
当時はバッハやベートーヴェンでペダル(右側のラウド)を使うと言うことは極力少なく、使わないで弾きなさいと言うスタイルでした。たしかにそれは鍵盤をしっかりと押さえてピアノを弾くと言う練習をするうえでは重要だったのかもしれません。
しかしこれはピアノの構造上あまり意味のないことであると言うことが、調律師と言う職業に就き、今回ロシア奏法に出会ったことにより明らかになってきました。
特にペダルを使った場合のことですが、一度打鍵してしまえばその構造上鍵盤上で押さえようが離してしまおうが音量の変化等があるわけではありません。
ハンマー部が解き放たれた振り子のように一度弦を打つだけです。重要なのはその振り子を突き上げるジャックと呼ばれる部分のスピードをいかにコントロールするかだけです。
厳密に言えば鍵盤を奥まで押さえたからと言ってそのスピードが例えば強くなるわけではありません。もちろんある程度のスピードを出すには奥まで押さえてその反動を強くする必要がありますが、一度そこに到達すればその後は指を鍵盤から離してもよいのです。
これがペダルを使わない弾き方の場合は、音の持続のため鍵盤をなるべく長く押さえていなければ音はしっかりと出ません。ダンパーと呼ばれる止音のアッセンブリーが打鍵のときのみ始動するからです。
さてバッハやベートーヴェンをペダルなしで弾く意味とはなんでしょうか?
それは古典的な楽器をイメージしているからに他なりません。チェンバロやクラヴィコードと言った古典楽器では音の伸びが少なく、バッハやベートーヴェンはその楽器で弾いて作曲したのだからその感じを出すことがより正しい弾き方であると言う考えが未だ大勢だからです。
古典楽器での演奏会なども催されていますが、現代の大きなホールに適しているとはとても思えません。そのような演奏はまったく音が客席まで飛んでこないからです。舞台の上で鳴っているだけです。
昔の宮廷内やサロンの空間での至近距離で聴く演奏でしたらそれはそれで魅力的な音楽を奏でていたのかもしれません。楽器はその弾かれる空間も音をつくる重要な要素となります。野外でのピアノやヴァイオリンの演奏は正直マイクなしでは聞いていられません。
現代のピアノでバッハを弾くと言うことになった場合、その弾き方や音の作り方は現代の条件に合わせるのが考えてみれば当然のことです。古典楽器と構造の違う現代ピアノで無理やりに古典の弾き方をすることに意味は感じられないし、その楽器の性能を最大限引き出せるとは思えません。
クラシックはどうしてもその作曲された当時のことを基準として考えがちですが、それを基準にするといま私たちが弾いているクラシック音楽は年々劣っていると言う考えになり演奏することは意味のないことになります。
なぜなら完成されたものがすでにあるのならそれをする必要がないからです。
しかし再現芸術としてその楽曲が弾き続けられているその理由はクラシックの楽曲が世代を超えて人を魅了しているからに他なりません。
芸術とは人間と共に進化していくものであると思います。そして楽器も進化してきたのですが、特にピアノはその進化が著しい楽器だったのです。
ヴァイオリンなどがたいして変わっていないのに対しピアノはここ200年もの間に劇的な変化を遂げてきました。
それによってピアノと言う楽器の魅力が失われていったかと言うと私はそうは思いません。未だに多くの人がその音色に魅了されているからです。私もそのひとりです。
私の考えでは”現代ピアノ”は1900年ごろに完成されたものとしての認識があります。その現代ピアノを使っていかに魅力的な音色を引き出すか? その答えをいわゆるロシア奏法(現代ピアノ奏法)が握っているのです。
その現代ピアノ奏法ですが、基本的にはペダル(右のラウドペダル)を使い弾くものとして私は認識しています。
最終的に耳に届く音を重要視しているからです。なのでペダルを使っているのに、このフレーズは流れのなかで指を残さなければならないと言った古典的な考えとは関係ないように思われます。ひたすらピアノの音色に耳を済ませて音を作っていくのです。
その過程のなかで音を飛ばす技術があるのですが、打鍵後に鍵盤の上に指を残すか残さずにあげるかで音が飛ぶか飛ばないか変わってきます。
これは体感しないとわからないことなのですが、普通に打鍵したときとロシア奏法を意識して打鍵したときとでは明らかに音色が変わるのです。
言葉にするならば、打鍵したままの音は沈むような音色で倍音が抑えられている印象を受けます。対して打鍵後に指の力を抜き鍵盤を戻すと、ぽーんん・・とどこまでも飛んでいくような倍音を多分に含んだ響きになるのです。
これはもしかしたら人によってはなかなか感じられないことかもしれません。
音に対する感性がものを言う世界です。
様々な人のピアノの演奏を聴いていても、倍音をとらえ演奏する人、本人は気付いていないが倍音が出ている演奏をする人、まったくの基音のみで弾く人、と千差万別です。
これは他の楽器や歌などにも共通することであるし、調律でさえもそのような違いがあります。基音だけを聴いて調律するような場合、響かない、包まれない、ベターとした平坦なつまらない音になります。
倍音を聴いてそれをコントロールして演奏しているひとの場合、調律が狂っていても倍音でバランスをとり演奏しあたかも調律が狂っていないかのような演奏をするかたがみえます。ごくまれなのですがこれは驚くべきことで、私の長年の疑問でした。
私の趣味で参加しているピアノサークルでもそのようなかたが過去にひとり見えたのですが、やはり今思えばピアノの性能を知り尽くしていた感があり、その弾きかたも独特なものでした。
この魅力的な演奏を引き出す”倍音”を聴けるようにするためにはどうすればよいのか。
私のこれまでの様々なピアノ弾き、演奏家とのディスカッションの結果、現時点では”ピアノだけを弾いていてはその感覚がなかなか身につかない”ということに至っています。
それはピアノが演奏者自身が音あわせをする楽器ではなく、調律師によってチューニングされた状態で相対するからです。これが管楽器や弦楽器の場合、まずは自分で音を聴きチューニングしなければなりません。このことを繰り返すうちに音を聴く感覚が養えるのです。
それとピアノはひとりでも楽曲を弾ける楽器であり、他人と合奏をして音を交わらせる機会が少ないことにも起因します。ブラスバンドやオーケストラでは他人との音の調和、ハーモニーが重要になってきます。
そのために音をよく聴かねばならないのです。
ピアノは楽曲によっては両手をフルに使って弾くため自分が出した音を聴く余裕や意識がない場合がほとんどです。指を動かすことに精一杯で自分の音を聴けていないかたばかりではないでしょうか?!
と言う様々な要因から音の感覚が磨かれず倍音が聴けないのです。
私は調律師となりその感覚が磨かれた部分もありますが、その前にトランペットを吹いていたことが自分の耳を養ううえで大きな役割を果たしたのかもしれません。なぜなら調律師のなかでもその倍音を聴き取れないと思われるかたが案外多く見受けられるからです。
今の結論としては、倍音を聴きたければ”ピアノ以外の楽器も演奏したほうが良い”と言うことです。
そしてオーディオマニアのかたのなかにもその感覚があるかたがみえるので、”よい演奏を耳を済ませて聴く”と言うことも重要と思われます。それもピアノだけでなくカルテットやオーケストラなどの演奏をもです。
さて話を戻しなぜ打鍵のしかたで音色が変わるのか、と言うことですが。
先に書いたようにピアノは一度打鍵してしまえば鍵盤をいかに操作しようと音に変化はないと言うのが一般的な見解です。アクション構造の上からでもそれは間違いありません。
しかしながらハンマーと発音体である弦だけで考えるのではなく、楽器全体としてピアノをみた場合は変わってきます。置かれている空間自体が楽器であるという観点から見れば、最終的に耳に届く音が我々が認識している音であります。
ハンマーが弦を打って出る音ではありません。耳に到達するまでに様々な影響を受けて到達するのです。
弦は駒に接しており、駒から響板へと伝播します。それがボディや内部の隅々まで伝わり響板から出て私たちの耳に届く音に影響を与えていると思われます。
その過程で鍵盤を底まで押さえていたらどのような影響を及ぼすのか?
鍵盤とフロントパンチングクロスが接していることにより筬を通じて伝播した振動は止められやしないだろうか。
それは例えばヴァイオリンのボディに指を触れて演奏するのとしないとで音色が変化することと考えは同じ。ピアノを楽器であると言うことを忘れずに考えればボデイ全体で鳴っていると言うことを意識しなければなりません。
たしかに最近ではボディが鳴らないようにピアノが作られていると言う悲しい現状がありますが、基本的には楽器全体で鳴らすものであり、鍵盤とハンマー、弦だけで鳴らしているのではありません。
この考えでいけば音をより響かせたいと思うなら、フォルテで指をたくさん使い打鍵したときには鍵盤の底から速く指を離したほうがよいと言うことになります。それによって楽器を振動の干渉から解放してやるのです。
スティムフューチャーと言う特殊なインシュレーターがあるのですが、これはピアノのキャスターが床に触れてその振動が干渉するということを防ぐ意味で取り付けられるものです。床との振動の干渉によりピアノの音色が変化するのです。
これもピアノをひとつの振動体と見ているからで、同じように指を押さえるか離すかで音色が変化することも理にかなっていると言えます。
しなしながら現時点でこれは感覚のものであるわけで、それが聴き取れないかたには信じる信じないの世界となります。そのようなかたのためにしかるべき研究環境にてピアノから発する振動の変化を測定し数値化、グラフ化することも検討しなけばならないと思っています。一応念のためですが。
ここまでが現時点での現代ピアノ奏法のまとめです。
この奏法を意識して弾くと何時間弾いても指は疲れません。現代ピアノを弾く上で合理的だからです。
鍵盤と筬の部分
この鍵盤の下の部分がピアノのボディに接している
フロントピンが鍵盤の下に潜り込んでいて鍵盤前面は浮いている
打鍵すると緑のフロントパンチングに鍵盤は接することになる