2013年12月27日金曜日

調律師に対する勲章

私の調律先の弾き手はコンクールでよい成績をおさめたり、音高や音大と言った専門的な道に進むかたが多い。

それには大きな理由があると思っていて、それが近年結果として着実に現れてきています。

私自身コンクールについては否定派でありますが、特にお子さんの場合結果として実感できるという点において大きな意味を持つことがあります。最終的には結果が良くても悪くてもピアノを弾き続けていく他の理由ができれば言うことはないのですが、それまでのつなぎとしてピアノが上達することを主眼として意味のあることであると思います。

ピアノが上達するには、良い師範に付くことは言うまでもなく重要なことですが、それと同等くらいに日々練習に使う楽器のコンディションが良いかどうかは重要なことであります。

それは一般的に思われている音の状態、調律がしっかりとなされているかどうかはもちろんのこと、普段調整されないことの多いアクションの状態がどのような状態になっているかが鍵となってきます。

技術者のなかには、と言うよりもその技術者が所属する楽器店の経営者の考えでは内部の調整をすることがあまり好ましくないと考えているかたが多くみえます。
それは特に楽器を販売することを主体としている楽器店にみられる傾向であり、ようは楽器を売るためにはあまりしっかりと直しては買い替えがおきないとの考えによります。ピアノはメンテナンスをしっかりしていれば壊れることはありません。寿命がとても長い楽器です。
以前に所属していた大手メーカーの楽器店では、アップライトピアノのバットフレンジコードが切れたことに対してもうこのピアノは修理不可能だと営業マンがユーザーに伝え、強引にグランドピアノへ買い替えさせた事例もありました。そこまでしないと実際には買い換えがおきない、と言うのが事実としても、技術者の立場からすればピアノを壊す方向へ持っていくことが求められるわけで、その空気を読めない技術者は販売店のなかでは必然的に孤立することになります。

しかし長い目で見た時にピアノの弾き手を根気よく育てていくことがいかに重要であるか、短絡的な利益ばかりを追求することがいかに意味のないことであるかは明らかであります。

ピアノが上達しピアノを弾くことに喜びを見出すことができれば調律の仕事も維持ができ、ひいてはピアノの買い替えも自然におきてきます。

特に子どもさんの場合日々の練習でピアノの反応が悪くうまく表現できない、弾けないようなことが続けば弾くことが苦痛になり嫌になっていくことでしょう。
そこでいかに弾きやすく調整するか、がピアノを弾いてもらうことにつながり調律顧客の維持にもつながってくるのです。

ここで問題となるのが、一般に行われる毎年の定期調律の範囲ではアクションの調整、いわゆるタッチの弾き具合の点においては行うことが難しいと言うことです。
いかにも弾きづらいピアノを前にして、調整の必要性を説いたとしても修理をしようとするユーザーはほとんどいません。なぜならアクションの整調には3万〜10万、やりようによっては30万近くかかるようなこともあるからです。ようは調律の他に費用がかかってきます。ここの理解は、なかなか難しいのが現状です。

そこで技術者がしなければいけないことは、発想の転換、損をすると言う概念を捨てることです。

毎年の調律の中に少しずつのアクション調整の時間、整調をする時間を取ると言うことです。これはサービスの範囲なので私は金額はとってはいませんが、毎年調律をオーダーくださるユーザーへの御礼と思い行っています。5年も経てばピアノはかなり良い状態へと仕上がってきます。

本来ならば、初めにお金と時間をかけて調整してしまうのが一番なのですが、それができるかたは初めからコンディション良いピアノで弾くことができ、毎年の調律の際には更に奥の深い音色の細かい調整と言ったところまで行うことができます。ほんとうはこれが理想です。

調律師の仕事はピアノをその能力が最大限発揮できる状態に近付けること。ようはピアノを直すことであり、壊れることを待つことでは決してありません。技術者としての当たり前のことをできるかどうかがこれからの調律師及び楽器店の生き残りの分かれ道となります。
実際にはもうその結果は出ていると言っても良いですが、、

調律先の弾き手がピアノを弾く喜びを見つけ上達することが調律師にとってのなによりの勲章と言っても良いでしょう。