先日大野眞嗣先生のところへお伺いした時に体感した事、そしてその後先生とお話した事を自分の中だけに留めておくのはもったいないと言うか、世に出さないといけないと言う使命感みたいなものがあり忘れないうちに書いておこうかと思います。
私が調律師になり以前より気になっていた事のひとつに調律の狂いが出ているピアノでも狂っていないように楽曲を弾いてしまう演奏者がいると言う事があります。
ある程度の普通の調律師であれば演奏している曲を聞いてそのピアノが狂っているのかどうか、どれほど狂っているのかはわかる。
例えばCDなどでもライヴ録音などではそれがわかるし途中でズレてきたような事もわかる。
しかしながらごく稀に演奏を聴いた時は濁ったような響きはまったく感じられなかったのに、その後自分が音を聞いてみたり、他の演奏者が同じピアノを弾くと狂っていた事がわかる事がある。
逆に狂ってるピアノだなぁと思って演奏を聴いていたのにある人が弾くととたんに音が揃って聴こえる事がある。
これはどう言う事なのか、長年疑問に思ってきたのですが、、
先日大野先生宅にてレッスンを拝聴した際、ピアノは調律の前だった事もあり調律師から聞けばまあまあな狂いが出ているのは明白な状態、演奏者でもここにきているかたはわかっているだろうと言うような状態だった。
で大野先生が見本を見せるために生徒さんの前で弾いてくださったりするのですが…
!?!?!
そのピアノから出てくる音色が、まさに少しの濁りもないハーモニーが、いや言うなればそれは単音でも純粋な響きがレッスン室に響きわたる。
シェーンベルクの楽曲の神秘性を表現するのに実に魅力的な音色でありむしろ調律したてのピアノでは出ない音だったのかもしれない。
これだ、これなんだ、私が長年追い求めているものは。
と間近に体感できた事は望外の喜びでありその豊潤な響きにひたすらに感銘を受けたのですが、なぜその響きとなるのか無論わかるはずもなく、とにかく倍音に満たされていた事だけは理解できたのです。
その後先生とお電話でのやりとりで最近のブログでの投稿のお話となり
「そのフレーズが実際に弾いている場所よりも1オクターブ低いのか高いのか」
実はこの一文がその響きの秘密を解き明かす鍵だった。
なんとそれは倍音をイメージしてフレージングしていると言う事。
倍音とは一音の中に含まれる整数倍の周波数を持つ音の成分の事で、例えばドを弾いた時は実際にはド、ド、ソ、ド、ミ、ソ、シフラット、ド、レ、ミ、ファシャープ、ソ、ラ、シフラット、シ、ド、と言ったように多くの周波数の音が混じって構成されている。
同じドと表記してあるのは実際には1オクターブ上のドだったりして基音のドからは高い音が重なってできています。
人間の耳にはひとつのドとしてしか聞こえないけれど実際にはもっと複雑にたくさんの音が入っていると言う事。それによってひとつの音が構成されている。
ロシアピアニズムや大野メソッドではこの倍音によって音楽を作っていくのですが、これがなかなか至難の業でこれを操れると多彩な音色が作れるようになる。
これが平均律であるピアノは和音になるとこの倍音が複雑に絡みあう事によって様々な表現、音色が可能になりその魅力となっている。
複雑がゆえにこれを意のままにするのは相当な鍛練と研ぎ澄まされた感覚と耳が必要になる。
先生が書かれた1オクターブ高いところをイメージして弾くとはまさに第2倍音をそしてそれに付随した倍音を狙って弾いていると言う事になる。
驚くべきはその狙った音色を作るのに手や指が連動して数分違わず出せると言う事。
しかもそれをピアノの状態いかんに関わらず、一瞬にして捉えて作ってしまうのだ。まさにアナログな作業の極地だ。
さらに鳴っていなくても実際には波動として存在している部分も捉えているイメージをスクリャービンの楽曲からは感じる事ができると言うのを聞いて、まさにピアノの高次元のところへ到達したものでしかわからない、倍音のその先にあるものまで捉えておられる事に驚きを禁じ得なかった。
今回実際の音と先生のおっしゃる言葉とイメージとで合致したものがあり、自分には作り出す事ができない世界ではありますがその秘密が解ける出来事であり、感覚的には理解できるものでした。
この事を後世理解できる人のためにもそのヒントとして書き記しておこうと思った次第です。
※思った事をパッと書いたものですが、また加筆修正などするかもしれません。
2020.6.6