2020年11月8日日曜日

音色に対する感覚を磨くには

 音楽を奏でるうえで大事な事はなにか。


私が調律学校時代に歳上の同期に聞いた言葉が今でも記憶に残っている。


そのかたは音大を出てから調律の道へときていたので音楽に対する素養があり当時様々な事を教えてくれました。


冒頭のその大事な事とは、「様々な演奏を聴く事だ」と。


それはピアノだけに偏ることなく、もっと言えばクラシック音楽に偏ることなく様々なジャンル、楽器を聴く事が必要なんだと。


その知識の豊富さと芸術に対する考えかたを尊敬していたこともあり、それからと言うもの私はそのとおりできる限りいろいろなコンサート、ライヴなどへ足を運んだ。


演奏家になるわけではなかったけれどそこで得た音の記憶はきっと今の仕事、調律の音作りにおおいに影響を与えていると思う。



耳を育てるにはどうすれば良いか、の問いに当たった時は、いろんな音を若いうちから聴いて感性を豊かにする事が大事だと答えるようにしている。



調律師となってからもいろいろな演奏を聴いていたのですがピアノだけはだんだんとコンサートへ足を運ぶことがおっくうになってきた。


それはプロとしてピアノの状態が常に気になると言うのもあったけれど何か演奏に物足りなさを感じ、感情に、心に響いてこないと感じる事が多くなり魅力を感じられずに遠ざかってしまった。



そんな時勤めた楽器店の先輩から誘われていったコンサートがエフゲニーキーシンのピアノリサイタルだった。

1,800人収容の大ホール、これまで幾人かのピアニストを聴いてきたけれど当時3階席しか買う余裕がなかったのでいつもここではステージから遠い演奏者が豆粒のようなところから演奏を聴いていた。


キーシンの音はこれまで聴いたどのピアニストとも異なっていた。3階席まで届くピアニシモ、音圧とは違う何かでたしかにステージ上の音が届いてくるのだ。


それがなんなのか、その正体を数年後にロシアピアニズム(現代ピアノ奏法)の大家である大野眞嗣先生との出会いで知る事になります。


ひたすら鍵盤を叩いて大きな音を出すそば鳴りの奏法ではなく倍音が出るポイントで打鍵し音を遠くまで響かせる奏法、それは声楽の世界でも同じ事が言えると最近聞いたのですがベルカント唱法とか言う身体全体を使い響かせる歌い方、喉で声を張り上げるのではなくむしろ力を抜く事で響きを豊かにすると言う事。


それらの奏法での演奏家ニコラーエワやバシキーロフ、ネイガウス、ソコロフ、ヴィルサラーゼ、など今まで知る由もなかったピアニストの存在を知る事になります。ディーナヨッフェ、アルゲリッチ、ポゴレリチ、ダンタイソン、プレトニョフなど今世界の第一線で活躍している誰もが知るようなピアニストもそのような倍音を使った奏法で弾いている事も知り共通する何かを感じていた私の感覚と符合しました。



大野先生からは調律と演奏の関係など様々な事を勉強させていただいていて、それは現在進行形。


最近の先生との意見交換のなかでホロヴィッツの東京でのリサイタルのお話が大変興味深くご紹介させていただこうと思います。


実際にリサイタルを聴かれて何か他の人とは違う、ステージ上だけで鳴っているのではなく、なにか音の広がりがステージ上から出ている事を感じそれに魅了されたとの事。

私が今まで聞いてきたホロヴィッツの日本でのリサイタルの感想と言えば、ひびの入った骨董品と揶揄されたものばかりだった。


しかし先生の耳はそんな表面上の事でしか聞いていない、いやそれしか聞こえていないような日本人が多いなかでもっとホロヴィッツの本質的なところを聴かれていた。

その事を聴いた時にいたく感銘を受けたのです。


ミスがない演奏、たしかにそれはステージ上では大前提かもしれない。けれどもたとえミスがない完璧な演奏でも心に響かない演奏は多い。

それはそもそも音楽としての魅力に乏しくピアノから出てくる音色が歌っていない、音と音の繋がりが感じられなかったり琴線に触れるような魅力が感じられない、それらは本来ミスがない以上に根本的な問題であると思う。



しかしながらそれが聴こえる人とそうでない人との段階や差があり、私が思うに日本人では聴こえていない人のが多いように感じています。それはホロヴィッツの日本公演への感想が物語っていたりもするのではと思います。


元々畳や木の中で生活をしてきて、ヨーロッパのような石畳や石造りの建物ではないので音が日常的に響くと言う事があまりなくそれがDNAに刻まれているのではと考察します。

チェンバロやクラヴィコードなどの古典楽器も響く環境下での演奏を想定されていると思うしやはり楽器とは空間も関係してくる。


この響く音、倍音での音楽を聴けるようになると音楽の楽しみが数倍にも広がってくる。


クラシックにおいてはむしろそうやって聴く事が同じ曲を違う演奏家で聴くと言う事においての違いがより明確になる。


再生媒体であるLPCDの違いのように、またCDであってもよい再生機器を使っているかどうか、何か音の厚みと言うか臨場感がある、それはハッキリとは聴こえていなくてもたしかにそこには多くの周波数が存在していて感じ取れる何か、それがことピアノにおいては明確に感じとれるか否かで違った次元がみえてくる。


ピアノを聴くことはもう飽きたと感じているような人はこの感覚を身につけてもう一段上の楽しみかたをして欲しいと思う。


ではその感覚を身につけるにはどうすればいいのか?


それは冒頭で書いたような様々な音を意識して聴く、もしくはピアノ以外の楽器を演奏する事。


ピアノはその複雑な構造から演奏者と楽器調整者が分かれている数少ない楽器。


そのため演奏者がチューニングする事はなく、弦楽器や管楽器のように自分で音程を作ったり音色を作ったりする事も一般的にはない。


これがピアノのみを弾いてきた人が陥る音程感や音色の感覚に対する鈍感さに繋がっていると感じる。


なるべく早い段階で音を自分で作る楽器、もしくは歌でも良いと思うのですが、それらをしたほうがピアノを弾く上でも大きな助けになると思います。

歌うようにピアノを弾く、このように指導されたかたは多いと思いますがそれはピアノだけを弾いていては難しい感覚なのです。


もっと言えば音楽だけでなく、絵画や美しい景色、それら感受性を育てるものに触れて感覚を養う事も必要だと思います。


なるべく感受性がスポンジのように吸ってくれる若いうちのが良いのですが、人間いくつになっても遅いと言う事はないと思うし、それは右脳に関わってくる事かと考えられますが人間の脳はほとんどが使われていないとの事なので活性化する事によって新しい世界が拓けてくるかもしれないです。


ぜひ豊かな音色を持つ演奏を聴き続けてみてください。そしてピアノを弾く人ならそのような音色が出せる奏法を学んでみてください。

徐々に感覚が開花していくことでしょう。